やっぱり落書きも一枚アップしますw。
クモリンクからお越しの皆様、いつも有難うございます。

- 2007/08/27(月) 16:56:16|
- リヴイラスト
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…今回は落書きではなく、また無駄話。
文章はかなり荒れるのでご勘弁、8割がた書き上げたところで、全て消えてしまった。いつものように冗長な前書きも書いたが、もう覚えてないので省略する。それを書いた時のおいらと、今のおいらですらもう別の人間なのだから。
さて、今回はおいらの大切なマンガたち。勿論プレミア的なものなどどうでもいい。どんな版であったとしても手塚治虫氏のブラックジャックは名作なのだから。おいらが今も尚愛し続けている作品を紹介する。
適当に思いつくまま作品を紹介していくが、無尽蔵に出てくるので、よきところで切り上げる。書いた順がおいらにとってのランキングではないことだけお伝えしておく。
◆「六三四の剣」。村上もとか氏の代表作品。先日、FMラジオで木村拓哉さんがこのマンガを例え話の引き合いに出してて驚いた。
剣道を通して成長していく主人公夏木六三四を描いた青春群像劇。
内容はネタバレをなるべく避けたいので詳しく述べないでおこうと思う。
「死/命」「親友/ライバル」「宮澤賢治」「岩手」…全ての出来事が丁寧に描かれている。こういう言い方は失礼だが、「こんなに素晴らしい作品をマンガ家が生み出せるのか」と圧倒された。特に文学の精通している(と思われる)村上氏の丁寧でドラマチックな物語はいまだに読み返して尚楽しめる。
アニメにはなったが残念ながら観ていない。どのコマも落とすことなく、余計な演出に手を出さず映像化すれば、あるいはマンガも凌駕するなにかを生み出せるかもしれないが、それほどまでにこの作品は全てが素晴らしい。こんなことが週刊誌のペースで発表出来たとは未だ信じられない。
個人的な感想だが、村上氏の最近の画風に比べるとこの作品のほうが好きである。氏は長編で「龍〜RON」という作品を描いているが、その途中で表情の描き方が変わっていった。氏も何かを手に入れながら、何かを失っていったのだろう。
◆「エーイ!剣道」。最後に、併せて氏の作品を紹介させていただくなら、この作品だろう。タイトル通り、氏の「六三四の剣」以前に描かれた剣道を題材にした作品だが、こちらは単行本3巻で完結している比較的短い作品だ。全体の大筋を踏まえながら、それぞれ読みきり的なエピソードが登場する形をとっている。しかし、こちらも素晴らしい。かなり古きよき時代を描いたノスタルジーに包まれる。青春臭さを隠すことなく描き、しかし切ない。おいらは実際「六三四の剣」で氏を知り、その後にこの作品を読んだが、全く違和感なく楽しめた。
なかなか出会う人が少ない作家ではないのかと勝手に思ってしまっている。スポーツもの、「スラムダンク」「ピンポン」「あしたのジョー」「キャプテン」など好きな方は多分楽しめると思う。
今回の絵は「ウィントン・マルサリス」。最も尊敬する音楽家の一人。
99年に描いたものらしく、サインが昔使っていたものだ。原画はもう友人にプレゼントしたため、コピーを撮影してものを載せる。

- 2007/08/27(月) 16:30:20|
- ボールペン画掲載
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…タイトルにゴヘイがあるかも?でも久し振りに友人とリヴでゆっくり話が出来、幸せでした。なんか今回は敬語になってます。その友人が、おいらの絵のお返しに一枚描いてくれましたので、さっそくアップしますw。アリガトー。

おいらも引き続きリヴのイラスト描いていきます。
また、贈り/送りますね〜〜。ではでは。
- 2007/08/25(土) 15:27:26|
- プレゼント
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おいらの大好きな友人のリヴが今日お誕生日w。お祝いに関係者何人かのリヴもお借りして絵にしてみました。
お誕生日オメデトー!/shock /fire

- 2007/08/24(金) 00:16:51|
- リヴイラスト
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多分、中3くらいかな?こんなこともしてました。ノートとか整理してて、えらい昔のものが出てきたので、嬉しがってアップします。
なかなか能書きをたれる暇がないけど、仕事でまた新しい経験が出来ているので、反省や思考はまた改めて「長文必至」で書きしたためますww。
ケンシロウよ…ピンボケでスマソ。



部屋片付いたら、久し振りに「切り絵」やりたいねw。
- 2007/08/23(木) 14:02:10|
- その他
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やっとミラ様とお話出来て、OKもらったので、早速アップします。
今もまさにカマキリの戦いに誘ってくれて、その上治療までww。
感謝感謝ですw。

- 2007/08/23(木) 01:47:45|
- リヴイラスト
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徐々に仕事が詰まってきて、なかなか理屈っぽい長文を書いている暇がない。絵はもう少し載せれるものがあるのだが…。
さて、今回はとてもとても嬉しいことがあったので、皆様に紹介。リヴの友人がおいらの飼っているリヴを絵にしてくれた。すごく優しさに溢れた作品で、見ていると癒される。「ちーち」を見て、こんなに可愛い笑顔を思い浮かべ、描いてもらえたことに感謝している。

リク様、サンキュw、また遊ぼうねw。
- 2007/08/22(水) 02:36:25|
- プレゼント
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おいらがクラリネット好きなのは、以前書いた。ボールペン画なる独自な方法でだいたいの絵を描いているのだが、かつて水性ペンで「クラリネット」を中心に描こうと試みた時期があった。仕事の忙しさを言い訳にすぐ止めてしまったのだろう。4枚しか描いていない。
この際なので載せてしまおう。せっかく描いたのだ。10年以上も前から誰の目にも触れなかった事実はかわいそうに感じる。見せてどうなるものでもないのだが…。
ウルフ・ローデンホイザー
〜ドイツのクラリネット奏者(アンサンブル・ヴィラ・ムジカ 等)

赤坂達三
〜日本を代表する若手(もう中堅でしょうか)クラリネット奏者

鈴木豊人
〜大学時代からお世話になっているクラリネット奏者
(サイトウ・キネン・オーケストラ、アンサンブル・ベガ 等)

エーラー・システムのクラリネット

- 2007/08/17(金) 00:13:32|
- その他
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いつも読めせてもらってる友人のブログによく<バトン>なるものが載っている。いつも「見た人は必ず自分もやること!」とか注意書きがあるのだが、その注意に従ったことがない。我ながら全く失礼な話だ。人のやったのを「ニヤニヤ」読んで、自分は堂々と答えようとはしない…。まぁ、年齢的にも恥ずかしい、というのもあるのだろうが。
さて、今回は「絶対だから!嘘つきはだめ!」という追加の注意コメントが妙に引っ掛かったので、一度くらいやってみようと思う。
<じぶんバトン>
□■ルール■□
見た人は全員やること! 絶対だから!嘘つきはだめ!
1.朝起きて始めにする事は
>水分補給&タバコ
2.これだけは欠かせない、日常的な事
>今はリヴリー
>音楽鑑賞
3.好きな食べ物3つ
>酢豚
>回転寿司
>オカンの作る粕汁
4.嫌いな食べ物3つ
>フルーツゼリー
>納豆
>奈良漬
5.踏まれたくない地雷は
>生活のだらしなさ
6.最近一週間で嬉しかったことは
>友人からのメール
7.最近一週間で悲しかった事は
>次の仕事が思いのほか大変な事が判明したこと
8.今使ってるシャンプー&リンス
>コンビニでテキトーに買ったやつ
9.お風呂で初めに洗うのは
>右腕
10.恋愛とは
>片想いは苦悩、両思いは才能
11.恋愛は手のひらで転がすタイプ
>いいえ…わからん
12.あなたの長所
>5分ほど考えたが、見つからない
13.短所
>山ほどあるが、一番は理屈っぽいとこかな
14.動物にたとえると
>人間
15.弱点は
>すぐ不安になり、誰かに依存しそうになる
16.寝る前にする事は
>その時によるが、寝ながら聴く音楽を決めることかな
17.リラックス・ストレス発散法は
>絵を描く
>ドライブ
>楽器の練習
18.大好きなドラマ3つ
>いきのいい奴、続・いきのいい奴(大昔のNHKのドラマ)
>王様のレストラン(昔のフジのドラマ)
>時効警察、続・時効警察(最近の日テレのドラマ)
19.大好きな季節
>大、ではないが、晩秋
--------------------------------------------
…なんで19なんだろう?
しかし、改めて思うが、ここで答えているのはあくまで今のおいらであって、何ヶ月、何年か経つと全然答えも変わるのかも知れない。
所詮、自分の思う自分なんて相手には半分くらいしか伝わってなく、あとの半分はその相手が埋めるものだと思う。その半分の「相手の中の自分」によく怯えてしまう。おいらはそんな人間だ。
今回も一枚アップしよう。ちょっとだけ、この絵についてのコメントを載せる。
意外と結構気に入っているものだ。しかし実は未完成で終わらせたものでもある。ピントの合っている部分と合ってない部分の描き分けに挑戦したくて、意外と上手くいったと自負している。多分、作業を復帰させるタイミングを失ったのが未完の大きな理由だろうが、やりたいことを先に片付け、それで妙に満足感を持ってしまったせいかも知れない。なんのとりとめもない絵なのだが、おいらは気に入っている。題材は「葉月里緒菜」。

- 2007/08/16(木) 15:06:06|
- バトン
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こんなのや、こんなのを、友人あてに描いてみたりしてますww。

…落書き、楽しいですねww。
- 2007/08/15(水) 00:53:10|
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「暑中お見舞い申し上げます。」
大切な友人用に描いたイラストなのですが、ご本人に贈ったものは色鉛筆でしたが、アップ用に遊びで色ペンで適当に塗ってみました。相変わらず、色使うのが下手くそですww。

色付け前のものもアップ致しますので、お暇な方はプリントアウトして塗り絵で遊んで下さい。
まだまだ暑さも全然衰えませんが、皆様、くれぐれも体調にお気を付けて、快適にお過ごし下さい。
- 2007/08/13(月) 21:47:14|
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前回は戯言を途中止めにしてしまうテイタラク、全くおいららしいお粗末さだ。それはさておき、手元にアップ出来るものがある限り、引き続き、しばらくは自分の絵を紹介していくのでご了承いただきたい。最近やっと記録を残すか…、という気持になったのだが、何分ほとんどの絵は人に贈った後なので、手元にもデータもほとんど残ってないので長くは続かない。新しく描いていかなければ、アップするものがない。自分へのプレッシャーでもあるのだ。
(前回の最後から)シェイクスピアもよく名前を聞くくせに何一つ知識がなかった。シェイクスピアと言えば演劇の神様、何作もオペラ化されている。
オテロ、マクベス、ファルスタッフ(ウィンザーの陽気な女房たち)、ロミオとジュリエット…、様々な作曲家が結構題材に使っている。
それも手伝って、阿刀田高氏の「シェイクスピアを楽しむために」を次の扉として選んだ。
ここで行を割いて訂正させていただく。お気付きの方も多いと思うが、本のタイトルは前回のものではなく、上記の「〜を楽しむために」が正しい。たかがブログ、思いつくままに適当に書いてしまっているのでよく間違いや脱字が多い。気付いた限り訂正をしていくようにするが、用意周到になろうとすると、必ず続かなくなるので、読んでいただいている各人にお詫びを申し上げた上で、ご了承願いたい。突っ込みや質問があった際はキチンと調べ直し、その時にはもう少し正確性のあるものをお伝えし直そうと思う。
…よく脱線する。戻ろう。
この本の中で「三・一致の法則」と云われるフランス古典劇の作劇上のルールを紹介している。この法則というのは、「時の一致:物語が24時間内で完結する事」「場所の一致:話の舞台が一箇所である事」「筋の一致:物語がわき道にそれず、首尾一貫している事」の3つを作劇の取り決めにしている、というものだ。シェイクスピアの話を続けるならば、彼はこの法則を守ることはかなり少なかったようだ。
ここでおいらの中に残っていた情報とこの新しい知識がリンクする。それを説明するためには更に少し話が長くなる。
モーツァルトの「フィガロの結婚」「後宮よりの逃走」「コジ・ファン・トゥッテ」などの作品はオペラ・ブッファ、あるいはジンクシュピールとジャンル分けされる。「オペレッタ」というジャンルが存在するが、これは「喜歌劇」と訳される。先の2つも訳すと同じような意味になるが、時代や様式の違いからモーツァルトの喜劇的作品を「喜歌劇」と訳することはない。様々な当て字を考えた古き日本人たちは、あるいはそれを訳していたのかも知れないが、おいらは知らない。フーガは遁走曲、カノンは追走曲/追複曲、ソナタは奏鳴曲…今となっては誰が使うのか解らないが、いちいち日本語に訳されていた時代があったわけだ。また蛇足が付いた。戻そう。これらのオペラ・ブッファ(詳しく知りたい方は、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』をご参照下さい。)が演出される時、「ブッファの物語は一日で完結されなければならない。」という法則が出現するのである。…しかし、何人かの先輩に理由を聞いたが明確な答えを貰ったことがなかった。演出家先生に聞ける勇気もなかった。
その疑問の答え(の可能性が高いものか?)が、そこに記されていたのだ。果たして、本当のところ、どうなのか?それはこれから学んでいきたいが、ひとまず、漠然としていたものが、一つの信憑性のある根拠に辿り着いた。
更に進もう。(もううんざりなのは薄々感じている。)もう少しだ。
そこにもまた新たな扉があった。まず一つは、「ギリシャ神話〜オルフェオとエウリディーチェ」から導き出された別の物語「古事記」。皆さんは「イザナギとイザナミ」はご存知だろうか?この2つの話はシンクロニシティとでも言おうか、全く別の国の伝承であるにもかかわらず、かなり類似した点が多いのだ。その扉を開ける後押しを、今一度、阿刀田氏の著書が担ってくれた。「楽しい古事記」だったと思う。
ここも余談が増えるところだが、今回は我慢しよう。
もう一つは、黒澤明監督の映画「乱」、そして、近藤芳正氏主演による舞台「ハゲレット」、どちらもシェイクスピアを原作とする作品だ。これらの作品についても、次回以降に回そう。
やっと、括りに入る。
このように、おいらの中で扉が続いていく。ギリシャ神話を知ったお陰で、ギリシャ神話のまだ知らない話が増えた。阿刀田高氏と出会ったお陰で、まだ読んでない興味深い作品が増えた。古事記、クロサワ映画、シェイクスピアの作品たち…知れば知るほど知らない事が増えていく。言い方が正確ではない気がする。知りたい事が増えていくのであろう。
最後まで辛抱して読んでいただいた方は、この稚拙な文からでも何か興味の扉を見つけてくれたりするのだろうか?
今はやりの雑学ではなく、興味を持った事を掘り下げて知ろうとする気持ちこそ大切なのではなかろうか?興味のない人から見た時、その知識が「雑学」と評されるだけであって、興味を持って学ぶ人にとって、その知識は「財産」なのである。
- 2007/08/13(月) 18:34:45|
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さて、今回も独りよがりに独り言。前回で「知識の扉」なる自分の勝手な考え方を書いたが、今回もそれに少し関連がある事を書こう。
最近はフリーになり、オペラの仕事をしばらく離れているが、いまだに本職はステージ・クルーのつもりである。
何年か前モンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」をやった。「オルフェオ」とはギリシャ神話に出てくるアポロンの息子、「オルフェオとエウリディーチェ」なる話で有名である。このオペラもまさにその話そのままだ。
おいらはギリシャ神話なんか勉強したこともなく知識も全然なかった。モーツァルトのオペラなどで比喩表現としてリブレットに何人(人ではない者もいるが、一応擬人化させて表現する。)か登場するが、それも詳しく調べることはなかった。
さて、この機会に少しだけでもギリシャ神話なるものを勉強してみようと考えた。知識の扉を開けてみようと思ったわけだ。そこで出会ったのが、ブルフィンチ氏著の「ギリシャ神話(上・下)」。そのすぐ後、阿刀田高氏の「わたしのギリシャ神話」と「ギリシャ神話を知っていますか」であった。特に阿刀田氏の「〜を知っていますか」は厳選した数話のエピソードが大変易しく面白く紹介されていて、大変楽しく読ましていただいた。
12神なる者の存在、様々な現代の言葉の語源になる人物たち、エピソード、…エピソード自体もギリシャ神話を語源とする言葉だ。2人の兄弟、兄のプロメテウスが始まりを意味し、弟のエピメテウスが終わりを意味する。プロローグとエピローグなどは解り易い対であろう。いろいろな興味深い話が満載だった。
ギリシャ神話の話だけで脱線しまくってしまいそうなので、そろそろ次の扉に向かおう。
それをキッカケに阿刀田高氏という優れた案内人を知り、さらに氏の「シェイクスピアを知っていますか」を読むことにした。シェイクスピアもよく名前を聞くくせに何一つ知識がなかった。シェイクスピアと言えば演劇の神様、何作もオペラ化されている。
…かなりリヴに時間を取られそうなので、続きは昼に書く。
- 2007/08/13(月) 01:54:28|
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さて、先日に引き続き、今回も恥ずかしげもなく、自身の絵を掲載させてもらう。…前回の流れからこの絵を載せるが、今回は別の事を書きたいと思う。
おいらは「オタク」と言う言葉が嫌いだ。勿論「オタク」と呼ばれる(或いは自称を名乗る)方々を非難して、の意味ではなく、である。おいらは、傍から見るとかなり「オタク」的に映るようで、たまにそういう評価を受ける事がある。しかし、おいらは胸を張って「オタク」なる称号を得れるものは何も持ち合わせない。
クラシックには多少精通(精通に多い少ないがあるのはおかしいが、あえて)しているほうだと思う。どのスタンダードな楽器でも、曲名だけならソロ曲、協奏曲、それを含む室内楽曲程度なら答えられるだろうし、作曲家もそれなりに各国、各時代を分け隔てなく聴いているであろう。クラリネットが好きで、100枚を超えるCDを聴いてきたし、ホルンもある程度聴いているだろう。P.グラス、A.ペルト、J.コリリアーノ、M.ナイマン…、現代作曲家の作品を好んで聴いたりもする。
マンガに関しても好きな作家、和田慎二、新谷かおる、村上もとか、荒木飛呂彦各氏が正式に発表している作品ははぼ全て読んでいる。ほかにも、浦沢直樹、手塚治虫、横山光輝(※以前の項で輝光と誤植したことをここで改めてお詫びし訂正する)、二ノ宮知子、水島新司各氏の作品群もかなり作品を愛読させていただいている。
ラジオ「松本人志、高須光聖の『放送室』」は、全放送を保存してことあるごとに聴いて楽しんでいるし、かつては渡辺満里奈さんのCD、写真集、菅野美穂さんのCD、写真集も揃えたりもした。
しかし、これらのことは「オタク」を証明する根拠にはなり得ない。なぜなら、おいらはそのそれぞれが持っているデータをキチンと把握しているわけではないからだ。
どうしようもないことでスペースを無駄遣いして、遊んでみよう。
おいらが聴いたCDのクラリネット奏者たち…エディ・ダニエルズ、ベニー・グッドマン、ザビーネ・マイヤー、ポール・メイエ、スタンリー・ドラッカー、エドュワルド・ブルンナー、アントニー・ペイ、ウルフ・ローデンホイザー、アルフレート・プリンツ、ウォルフガング・マイヤー、エマ・ジョンソン、アラン・ダミアン、アラン・ハッカー、オクターヴ・ポパ、シーア・キング、マイケル・コリンズ、リチャード・ストルツマン、ペーター・シュミードル、チャールズ・ナイディッヒ、ラリー・コムス、ミッシェル・アリニョン、ミッシェル・ポルタル、エルンスト・オッテンザマー、ディーター・クレッカー、カール・ライスター、レオポルド・ウラッハ、赤坂達三、ロバート・スプリング…、空で出てくるのはこの程度か…。特にむさぼるように聴いていた大学時代ならあと10人くらいは増やせるだろうが…。
あるいは、クラリネットの専攻生よりは詳しい部分もあるのかも知れないが、ただ好きで聴き続け、その音楽をおいらに供給してくれたプレーヤーがそれだけいただけなのである。彼らについて、もうしかしたら出身国も定かでなかったり、彼らのベストと呼ばれる録音を聴き逃していたりするのかも知れない。彼らがエーラー管なのかベーム管なのか、はたまた改良ベームなのか…?今となっては「この演奏は誰が吹いている?」と尋ねられても???なものばかりだろう。
もしTV東京の「TVチャンピオン」に出ても一回戦敗退である。好きだから、好きな部分に多少の知識を蓄積しているだけで、それはおいらの中にある「オタク」という称号には値しないレベルなのである。
こういう横柄で独りよがりな文章を書いていると、「結局自慢か…?」と思われることを覚悟してしまうのだが、そうではなく、おいらはこれだけの記憶しかないのに「オタク」と表現されるのは嫌だということを書き記したいだけなのだ。
もっといろんなことを学んだとしても、その先にはまだまだ知り得ない真実が垣間見える。
今回の最後は、おいらの思考の一部を紹介して終わる。
「あなたは知識の扉の前に立っている。その知識を手に入れるべくその『知識の扉』を開け、1つ新しい知識を手に入れる。その小さな四角い部屋には今開けた扉とは別に新たな3つの『知識の扉』が現れる。更なる知識を求めてあなたはまた『知識の扉』を開け新しい知識を手にする。その新しい四角い部屋にも今開けた扉とは別に3つの新たな扉がある。…あなたは2つの新たな知識を手に入れたが、開けなかった扉、つまりまだ知り得ない知識の扉が5つ残っている。次に進めば、3つの知識と、7つの未知なる扉、…知識は知れば知るほど知らないものが増えていくのである。知識に終わりはなく、その矛盾した、扉を開け続ける作業を支えてくれるのは、あなた自身の好奇心なのである。
あとはその知識を何に変換して利用するか、そこがミソなのだ…。
- 2007/08/12(日) 18:42:51|
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今回は自分の描いたものを恥ずかしながら載せる。もう13年も前のもの(おいらは自分の絵を作品と呼ぶのは抵抗がある。)で、ボールペン画(と勝手に言っているが)を始めて2番目のものだ。
大学を出て入社した会社で留守番をしている際、暇つぶしに会社にある冊子をいろいろ眺めていた。そこでこの絵の元ネタである写真と出会い、昼食で出掛けるのに併せてついでにスケッチブックを購入、会社のボールペンを使って5時間ほどで描き上げた。笑わせるつもりは毛頭ないが、描いている間、ずっと安田成美の「風の谷のナウシカ」をエンドレスでかけ続けていたのをはっきり覚えている。
現時点に於いてもなお、自分の描いた中で、最もいい出来の絵ではないかと思っている。
追い追い他の絵もアップしていこうと思っているが、徐々に1枚に掛ける時間が長くなっているように感じる。タッチもこの頃とはだいぶ変わってしまった。たまに、というかほとんどにおいて人にプレゼントする為に描く事が多いのだが、(渡した方々には申し訳ないが)この絵に勝てる絵はまだ描けてないと思う。あくまで自分の判断なのだが…。
次回、もう一枚描いた「ヘップバーン」を載せるが、技巧(といっても全てが我流でちゃんと勉強をした事がない。)的には、タッチも細かくなり質感も少しは区別出来るようになったと思うが、やはりこの絵には勝てていない気がするのである。
別に自画自賛したいわけではない。絵とは描き終わった時点で自分の手を離れた一個の単独な存在になるような気がしている。見てもらった何人かの人には「いい。」「すごい。」と嬉しい感想をもらったが、それはこの絵に対してであって、おいらが褒めてもらったようには感じないのである。しかもこのような写実の場合、元の題材がいいので、頑張ればそれなりのものになるのは当然なのである。実物に魅了されて自分でそれを別の方法で再現し直しただけなのである。だから、おいらは絵を褒めてもらえる、喜んでもらえるのは、嬉しいが、自分を褒められるのは居心地が悪い。褒められたところで、同じ質の絵が描ける保証は自分の中には存在しない。出来上がるまで出来は判らないのだ。
現時点で許可を取っていないので、詳しくはお伝え出来ないが、この絵を含め数々のおいらの絵を快く飾ってくれているホームページがある。
その人は色鉛筆で写実のポートレート作品を数々描いておられるが、その人の作品には驚愕してしまう。そんなすごい人がおいらの絵を飾ってくれていることは感謝してもし切れない。今描いているものが上がれば、その人にデータを送る事になると思うので、ここで改めて紹介させていただいていいか、聞いてみようと思っている。
- 2007/08/12(日) 02:50:21|
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音楽について今日も書く…。
バッハが対位法で書いた作品は、そのパートの数だけ登場人物が出てくる。…どの音楽でもそうではないか?パートの数だけの登場人物が居るのではないか?その通りである。ここでいう登場人物とは、それぞれが性格の違う個性を持ったもの、という意味である。
フーガなどにおいて、それぞれが最初の主題を順々に読み上げるが、徐々にその内容は個々の主張に分かれていき、ある時は共感し合い、また違うところでは反論したりする。そして一定量の会話を交わし全員で結論に向かう。
ではモーツァルトではどうであろうか?ロココは、数学からより文学に寄ってきた感じがする。何人かの主役、脇役とそれに付随する群集、といった感じだろうか?おいらのような不勉強な者が偉そうにモーツァルトを分析するのもおこがましいが、彼の音楽にはよりはっきりとした物語が存在すると思う。
バッハは数学、モーツァルトは文学なのである。だからモーツァルトを解り易くするためには、彼のオペラを勉強する事が近道なのではないだろうか?
最後期に位置するオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」。あとには「魔笛」「皇帝ティトの慈悲」があるが、ダ・ポンテと組んだこの作品はやはり格別のものがあるように思う。…といいつつも、おいらは「魔笛」「ティト」については観ただけでほとんど不勉強なので、いい加減な評価であることは否めないが。
格別なもの…とは何か?あくまでおいらにとってではあるが、例えば、2幕3場(※おいらのブログを通じて細かい表記は避けたい。間違えがあっても多少は読み手の優しさでカヴァーして欲しい。偉そうなことを書いていても、論文ではなく独り事なのだから。)のフィオリディリージとフェランドの2重唱。浮気な気持を強引な決意で断ち切ろうとする彼女の歌は明るい。テンポも落ち着き、ベースが彼女の心拍を長調で刻んでいく。しかしそこにフェランドの登場、ベースの鼓動は短調の、彼女の動悸に変わり、彼女は否応なしに旋律線を変えざるを得ない。自分自身を一度は説得しようとしたほどだ、力を振り絞って彼を拒もうとする。しかし、フェランドの言葉を拒みながらも、旋律は彼に従っていく。下品な言い方だが、「上の口は拒んでも…」である。まさにそこがテーマのオペラである訳だ。
フェランドが流れを一旦制し、美しい3拍子のラヴコールを送る。…とてもとても美しい。しかし、おいらが最も美しいと思うこの旋律は真実なのか、あるいはやはり巧妙な芝居なのか?これは本人にしか判らないだろう。本人も判らないかも知れない。
そして、フィオはフェランドを受け入れる。受け入れた彼女は高揚し、繰り返す旋律は16分音符で小刻みに震えてしまう。もちろんフェランドも同じである。起承転結の「結」に向かう直前の山場が最高のクライマックスを迎える。
話が大きく脱線したようだが、こちらは大したクライマックスを用意できないまま、「結」に向かおう。
つまり、フィオリディリージ、フェランドは固有の人物なのは当然なのだが、オーケストラもそれぞれのパートが、ある箇所では、伴奏、別の箇所では心理表現、それぞれのパートが各々の役目をこなす。そんな事が見えてくると、モーツァルトを演奏するのが楽しく、また空恐ろしくなっていくのではないか?
バッハの哲学を分析することも、天才の無言劇を考察するのも大変だが面白い。明確な答えは存在しないが、それを促すヒントを両人とも数多く残して行ってくれた。さぁ、もっともっと音楽を学んで行こう。
- 2007/08/07(火) 23:46:24|
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久し振りに、昔買って最近トンと聴かなくなったCDを出して聴くか…、と。そうなると勿論選ぶのはクラシックになるのだが、今日の1枚は「ストラヴィンスキー:ディヴェルティメント 他/リッカルド・シャイー&ロンドン・シンフォニエッタ」。マイナーな曲ばかりだ…。買った経緯も「クラリネット・ソロのための3つの小品」が入っていたからだ。
表題曲、ファンファーレ、組曲1&2、オクテット、ストラヴィンスキー好きか精力的な室内オーケストラしか知らないのでは…?と思ってしまう。しかし「春の祭典」などに比べるとかなり聴き手に負担が少ないかわいらしい曲群である。演奏者も自分の実力を発揮しつつアンサンブルを楽しめるのではないだろうか?
…しかし、しかしである。これらの曲たちの存在の意味はなんなのだろうか?バレエ3部作や「プルチネッラ」に比べると圧倒的に再演の機会は少ないことだろう。しかし、同じマエストロ・ストラヴィンスキーの作品で、その作品を聴かないと味わえない面白さと緊張を持ち合わせている。
これらのマイナー群はいろいろな悩みを抱える。まず興行として成立しにくい。客を集める曲たちではないのだ。そうなると演奏の機会が圧倒的に少なくなる。そしてマニアックな作品としての烙印を押されていく。悪循環である。
「のだめカンタービレ」の存在を諸手で賛成はしないが、個人としては大好きな作家の面白い作品だと思って愛読している。クラシック業界で感謝している人物もそれなりに存在しているのではないだろうか?しかし、音楽とはとどのつまり芸術であって、やはり学んだ先に更なる喜びのあるものだと思っている。「のだめ」をキッカケにクラシックに触れら人達は増えただろうが、そこから先を学び始めた人達はどの程度存在するのだろう?
いつかこれらの作品群がキチンと客に提供される方法が見つかると嬉しい。ピカソの「ゲルニカ」のみではなく初期・中期の素晴らしい作品を観るように、ストラヴィンスキーという巨人が残した作品たちも、メジャーワークスだけではなく、小さな愛くるしい作品たちも、数多くの人々に触れてもらいたいものだ。
そんな事を思いながら、マエストロ・シャイーと仲間たちの愉快な演奏を聴いた。
- 2007/08/06(月) 21:52:18|
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あんまり個人を特定するような事柄を書くと周りに迷惑をかける事もありそうで、控えめにしておく事も必要であろう。
夏の、それなりに認知度のあるクラシックの音楽祭にスタッフとして参加した。4年振りのことだった。
あまり暴露話なんかはするつもりもないので、今回参加して感じた事を漠然と書いておこうと思う。
参加したアカデミーの技術力は高かったように思う。しかし最後まで彼らの演奏からは、演奏しか聞こえず、音楽を聴く事は出来なかった。おいらは音楽大学を出ているので、クラシックがどういうものか、ある程度の物差しを自分の中に持っているつもりである。裏方としても20年近く海外のオーケストラの来日公演に立会い聴いてきた。別に有名な名門オーケストラが必ずしもいつも素晴らしいとは感じない。しかし、流石一流、一発の音で魅了されることもある。
常に知っている曲を聴くわけでもなく、しかし自分の中にある音楽を参考にしながら聴く事に集中する。
…今年のアカデミーを聴いていてただ感じるのは、楽譜を音に変える作業は出来ても、どんな音楽に作り上げたいか、イメージが伝わってこない。…空っぽなのか?とすら感じる時がある。
おいらは自分のやっていた楽器のお陰で他の楽器についても勉強する
機会があった。別に自分の楽器の師匠たちが最も尊敬する存在とも思わなくなった。素晴らしい音楽を生み出す音楽家は自分の楽器を最強の手段として使いこなす。アコーディオン、リコーダー、テューバ…様々な一種特殊な楽器からでも素晴らしい音楽を与えてくれる。
音楽を聴きたい、と常に思っている。その人物がその音楽/楽譜をどう形にするのか…?
結局、音楽とは技術自慢ではなく、自分が学び経験してきた様々な要素を充分に安定した技術を利用して表現することではないだろうか?
アカデミー諸君はいったいどんな本を読み、どんな音楽を聴き、どんなオペラ、演劇を観てきたのだろうか?バーンスタインの著書やクライバーの公開リハーサルのDVD、ヴェルディやプッチーニのオペラ…クラシックの中だけでも、諸君に素晴らしいヒントを与えてくれる素材を先人たちは数多く残してくれたのだ。今の作曲家皆様には申し訳ないが、まず18世紀、19世紀の音楽からキチンと学んでいったらどうだろうか?ストラヴィンスキーの「3つの小品」を吹くこととモーツァルトの「クラリネットとバセットホルンの為の12の二重奏曲」を吹くことは技術の難しさのみで本質を問われるものではない。
技術を手に入れる喜びに惑わされると、音楽の本質には辿りつかない気がする。自分の表現したいものを手に入れる為にどうしても上質な技術が必要となるのである。まずは自分の中に少しでも魅力のある音楽を生み出すことから始めよう。
音楽祭に選ばれたからといって一流の仲間入りではなく、一流の体験の出来るアマチュアになったにしか過ぎないのだから。更なる音楽の勉強はここからやっと始まるのだから。
最後に書き足すが、この音楽祭の前半、かなり日数的に少なかったが、それでも可能な限り自分の音楽を与え続けた真のマエストロ・ムーティの姿に、今も尚幸せを感じている。
- 2007/08/04(土) 15:13:26|
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