ジョン・ケージ氏の監修で「ユーロペラ5」という作品がある。
先日サントリーホールの小ホールで日本初演が行われた。詳しくは知らないが盛況だったのだろう。その公演自体については、おいら自身が関係者だったこともあるので、ここで四の五の書くのは控えたい。・・・三まで書いていいのなら、今回の仕事も素晴らしい歌い手2人とご一緒させていただく事が出来たことに対する感謝の気持であろう。
さて、ではなぜタイトルに持ってきたか?
この作品に関わり、この作品に感じた事をとりあえず書こうと思ったからだ。はてさて、大変困った作品である。まずジョン・ケージという作曲家を今この文章を読んでいる方々がご存知がどうかは知らないが、現代曲作曲家としてはかなり有名な人物であろう。現代曲を紹介するコラムでは頻繁に氏の「4分33秒」という作品が取り上げられる。あえてここでは書かないが、後々「ユーロペラ5」について書いていく間に引き合いに出す事にはならざるを得ないだろう。
ジョン・ケージ・・・ちゃんと聴いた作品と言えば、おいらの尊敬するトロンボーン奏者、クリスティアン・リンドベルイ氏がリサイタルでケージの無伴奏曲を演奏したものぐらいかも知れない。つまりおいらも「4分33秒」のみで氏の存在を知っているといっても過言ではない。
さて今回の作品だが、2人の歌い手、ピアニスト、蓄音機、ラジオ、テレビ、照明、ある程度の指定をされた舞台で行われる作品である。
詳しい事を書くとややこしいのだが、2人の歌手、ピアニスト、音響家、照明家、蓄音機奏者それぞれがケージの指定したものを任意で複数用意し、それを1時間きっちりで組まれたタイムテーブル(時間割)にクジで当て込んで、お互い同士が影響されることなく始め終わる、というものである。なお、ジョン・ケージはただの一音も音符は書いていない。歌い手、ピアニストは従来のオペラ作品からの抜粋を用意するし、蓄音機にかけられるものもオペラアリアのレコードだ。
なんのことかさっぱりかも知れない。こういう説明はとにかく下手だ。詳しく知りたい方はインターネットと言う饒舌なものを利用していただきたい。
一人の歌い手がアリアを無伴奏で歌っている最中に、なんの関連性もないアリアのレコードがかかったりする、ピアノがまた全然無関係なピースを弾く。この作品に必要なピースを数だけ用意し、曲順はまたクジで決めるから、常に妨害する音が同じとは限らない。
ほとんどのこれを読んでくれている方々が知らないものを説明もおろそかに感想を書くのは馬鹿げているだろう。がしかし、あくまで個人的意見だが、この作品はケージの提案、研究、実験であって決して音楽的作品ではないので、くどくど書くが個人的意見としてはおいらは絶対お勧めしない。だからこの文章には、この作品を深く紹介したいという向上心は含まれていない。
さて、この作品を通じて感じたことを書こう。ケージが言いたかったことはつまり「4分33秒」と同じくこの舞台作品を通じて「音」を集中して聴こうとする行為に気付いて欲しい、ということだろう。この作品が定義された1990年代はすでにさまざまなメディアが発達し、様々な音、音楽が溢れていた。今日、クラシックの生演奏でさえどこか適当に劇場に飛び込めばすぐに聴ける世の中になっている。
そんな「音」が望むとも望まざるとも耳に入ってくる状況の中、「音」に対して自らがキチンと耳を傾けることが少なくなっていっているのではないか?それをなんらかの方法で問題定義したかったのではないか?
・・・長い。今回はこのへんで、次回に引き伸ばすことにしよう。この話は長いので次回も完結させれるかは、分からない。
とりあえず、ここまで我慢して読んでいただいた皆様にお礼を言いたい。有難う御座います。
・・・で今回は絵を載せる。今年の春仕事をさせていただいたブロードウェイ・ミュージカル「CHICAGO」2007年のカンパニーにプレゼントしたものだ。2005年にも働かさせていただいた。その時も絵をプレゼントさせていただいた。それを次回紹介したい。


- 2007/09/13(木) 02:46:44|
- ボールペン画掲載
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