今回も映画について・・・。
映画にしても、ドラマにしても、物語のエンディングを先に知りたくなってしまう。知りたいと思っているものならば、観る前に人に聞かされても構わない。「終わりよければ・・・」とまでは言わないが、やはりエンディングの良し悪しが持つ作品の評価へのパーセンテージは大きいだろう。
「カッコウの巣の上で」、ジャック・ニコルソンの古き代表作だろう。おいらは好きにはなれなかった。全体を通して、というより、エンディングが好きにはなれなかった。結局・・・と思ってしまう。悲しさしかない。勧善懲悪が好き、という訳ではないが、主人公の抵抗はなにも生み出さなかったように感じ、居たたまれなかった。「病院」の非常にひずんだ存在と、それにあくまで抵抗し続ける主人公。主人公の行動の全てが共感出来るものではない。しかし、その行動が他の消極的な者たちに勇気を与える。それはいいのだが、結局、わがままな患者が周りを巻き込んで好き放題抵抗して、その挙句なにも解決しなかった・・・としか観れなかったのだ。あのドラマは誰が何を成し遂げたのだろう?「レナードの朝」も重い雰囲気を持つし、エンディングも決して報われたものにはならないが、ロビン・ウィリアムズの(演ずる医者の)信念は一時的な成功にもその後の結果にも不変なものとして描かれているように思う。
「カッコウ〜」という映画のあの中で、誰に依存すれば報われたのであろう?
逆に「猟奇的な彼女」はあのエンディングで、好きな映画といえてしまう。途中の回想(?)シーンで思いっきりだれたのだが、そのおかげでアタマのフリが薄れ、オチを予測出来なかった。オチが予測出来ていたならば、多分「チョン・ジヒョン観たい」と強く思わない限り2度観なくていい映画になっていただろう。その続編的作品「僕の彼女を紹介します」も必要以上に胴長な気がするが、ストレートな本エンディングに卑怯な大オチが用意されて、しかもおいらはまんまとその罠にはまった。オチが気に入れば、知ってても再鑑賞の邪魔にはならない。最後には自分が報われるからだ。
「シックス・センス」は逆に途中でオチの要素に気付いてしまい、そのせいでそれ以降の話が謎として機能しなくなってしまった。オチまでのネタフリだけで引っ張る作品だったために余計に何も楽しめなかった。
「インサイド・マン」「コンフィデンス」のようなオチを用意した作品、「交渉人」「L.A.コンフィデンシャル」のようにオチを引っ張る作品、「アイズ・ワイド・シャット」「スケアクロウ」のように物語の前後が本編の外に用意された作品、・・・いろいろな手法で物語は組み立てられるのだろうが、その機能を果たさなければ評価はぐっと下がるのではないだろうか?
エンディングで(善悪としてではなく)悪い方向に導かれると、ショックが大きい。例えエンディングを知っていても、気に入った作品は楽しめる。それだけが理由ではないだろうが、おいらは結局ついついエンディングを知りたくなってしまう。
- 2007/06/25(月) 07:02:13|
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